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今日の2月15日は僕の誕生日です、それも還暦の。
「とうとう」と言うか「やっと」と言うか、取り敢えず人生の曲がり角です。 僕はデザイナー、アートディレクターを経て、33年前の27才の時に写真家に転向した。 ファッション、静物、広告を撮り始め我武者羅に写真を撮っていた30代。 VOUGE そして20代に撮っていた作品(日本では誰も目もくれなかった)を持って30代後半にヨーロッパに行った。友人に連れられてミラノの(伊)VOUGE 編集部に行った時に一つの大きなチャンスを貰った。これには自信が付いた。 Ferrari WORLD ![]() この本は翌年の1991年から日本に輸入されるようになった。なので日本の方々には僕が載っていた号は殆ど知られて無い。 Leica & Leica Fotografie International ![]() 撮った作品を日本で見せても誰も見向きもしないし評価は落ち込むほど最悪だった。でも、その作品で作ったカレンダーが回りまわってドイツのライカ本社の広報の目に止まり、二度目のチャンスを貰った。未だインターネットが普及して無い時代だったのでライカ本社とのやり取りは手紙だった。 ライカ本社からは多くの方々を紹介して頂いた。中でも(独)ライカフォトグラフィー誌には一番最初に「直ぐに編集長と連絡をとるように」と、紹介状まで書いてくれた。そのお陰で作品を1995年のライカフォトグラフィー誌に掲載してくれた。当時ライカの広報からは「日本人で初めてだよ」と言われた。 この時の作品が「散歩の途中で・・・」シリーズのVol1だ。 ドイツから送られてきた、英語版・仏語版・独語版が各10冊づつのライカフォトグラフィー誌を見た時、今後は写真作家として作品を発表していく決心をした。 それでも、未だ2〜3年は日本では余り良い評価はされなかった。何故かと言うと、僕が採り上げられたライカフォトグラフィー誌等は当時日本では入手出来なくて、その翌年から日本に輸入される様になったからだ。でも、その後も6回も作品が掲載された。30代からライカを使って作品を撮っていたのが報われた気がした。 何故か?今迄僕の作品が採り上げられて特集や掲載された物は、当時日本では入手出来ない本ばかりだった。 そんな僕が今日まで写真家でこれたのは、自分の目と感性と仕上げた作品を信じて撮り続けて来たからかも知れない。また、僕の作品を見て共感してくれる方々が居たからだ。 これからも、写真は撮り続けます。DGSM Printももっともっと多くの人に普及する様に努力するし、やりたい事は山程あるし、未々歩けなくなるまで走り続けます。 昨年はNikon D800/D4 & Canon 5D Mark IIIで多くの作品を撮ったけど、今年は主に Leica M9Pと今迄僕の目になってくれたLeicaのLensで!そして気が向いたら今迄使い続けて来たM4/M6/MPとTMYでも撮って行きます。 ![]()
by Ektalure
| 2013-02-15 02:31
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